こんにちは、Jetstream BLOG 管理人兼ライターの石井順です。
最近頭の中をいろいろな考えがよぎっています。私は計画的に物事を進めるのが苦手で、どちらかというと直感的に行動する派です。
なのでこういうときは思いのままに語らせてください。
脱サラする前
沖縄移住も結構な決断でしたが、その前の脱サラの方が結構な決断でした。
以前より話していますが、脱サラして独立する前は 10 年間アパレル業界にいて、その前は 3 年間くらいフリーター、更にその前は 1 年半くらい板前です。大学には行っておらず、高校卒業後は 1 年制の専門学校に行き、そこから板前になる間もフリーターをしていました。
2 回に及ぶフリーター時代はコンビニとかテレアポとかいろんなバイトをしましたね。
恥ずかしい話ですが、少しだけモデルを目指していて 20 代前半の時に事務所に所属していたこともあります。まぁ、とんだ絵空事でしたけど。
こんな感じで脱サラして独立するまではあまり安定したことがない人生です。独立してからはもっと安定していないですが(苦笑)
独立する前まではアパレル業界にいたわけですが、結果的に 5 年間在籍していたク〇体育会系国内アパレル企業で、4 年目くらいにいよいよ限界を感じるようになり、まずは転職を考えて転職活動を初めていました。
結局半年間転職活動を頑張ってもどこも受からなかったということもあり、脱サラして独立するにいたったわけです。その辺のことは別のコラム記事でも書かせていただいています。
私は元から個人事業主になることを希望していたわけではなく、当時は 33 歳で独立する直前までは転職活動をしていました。当時はもうアパレル業界は嫌だったので別の業種を希望していたのですが、30 歳越えて経験もないのに別の業種というのはなかなか難しく、転職活動を半年間頑張った結果、どこも受かりませんでした。
Amazon の最終面接まで行ったりもしたんですけどね。やはりそこで求められたのは、行き当たりばったりではないちゃんとした知識と “スキル” でした。
正直 Amazon を落ちた時点で燃え尽きてしまっていてまたアパレル業界の別の企業でもいいかな、なんて思っていたのですが、その時にやっていたネットショップが結構伸びてきていて、唯一尊敬できる元上司から背中を押されたこともあり、思い切って独立し、そして準備を経て個人事業主になりました。
実際に会社を辞めたのは 2013 年 8 月末です。
確か 2013 年 8 月 31 日は土曜日で会社が休みだったので、8 月 30 日の最後の出勤日は午後休にしておいて午前中だけ出勤して、片づけが完了しているデスクに座り適当に時間を潰し、そして午前の部が終わったら特に誰に挨拶するわけでもなくシレっと退職しました。
会社は南青山だったんですけど、帰りは渋谷までゆっくりと歩きながら帰りました。
当時の心境はあまり覚えていませんが、期待と不安がありつつも期待の方が大きかったと思います。“あー、もう自由だ” みたいな感じで。
8 月 31 日(土)は一応まだ会社には属している身だったので家で大人しくしてました。ちなみに退職届は 7 月末に直接総務に提出していたのでバックレたわけではないですよ。
直属の上司は嫌いだったので特に何も話はしていなかったと思います。そこはどーでもよすぎてあまり覚えていないです。
まぁ、絵にかいたような問題児だったと思いますよ。自覚はしています。
脱サラ旅行
脱サラしてまずやったことは旅行です。実は会社に属していたころは旅行などほとんどしたことがなくて、サービス業も長かったので連休などもほとんどありませんでした。
多分 3 連休以上なんてほとんど取ったことなかったと思います。あったとしても貧乏だったから旅行なんて考えたこともありませんでした。最大の無駄遣いだと思っていたので。
で、脱サラ旅行は自分に対するご褒美です。沖縄に行きました、と言いたいところですがそうではなく、新潟県北部の日本海にある小さな島【粟島】に、9 月 2 日 ~ 5 日の三泊四日で行きました。
なぜこの粟島にしたかというと、西洋占星術系の占いを趣味でやっているプロレス仲間の女友達に、この時期に(横浜の)家から見てこの方角の土地に行くと、遠ければ遠いほど運気が上がると言われたため。
粟島は丁度良い方角にあったし、こんなことがないと行くこともないだろうと思って決めました。別に占いを信じたわけではありませんが、わざわざ運気が下がるようなことはしたくない、という逆説的な考えです。
占いが当たったかどうかはわかりません。が、旅行的な成果としてはかなり大当たりでしたよ。何もない島でしたが、だからこそ最高でした。
粟島はとにかく海の幸が美味しくて、朝に外で海を眺めながら食べる “わっぱ煮” は今でも忘れられません。
粟島の “わっぱ煮” は “曲げわっぱ” の器に味噌で味付けした魚の汁が入っていて、そこに熱した石がに入っているんです。グツグツいってます。
これを朝 7 時くらいに海を見ながら食べるんですよ。最高でしょ?
三泊四日のうち、島の西側の港がある集落の民宿で一泊、西側の集落の民宿で二泊しました。粟島は人口 300 人くらいの島で、集落は西と東に各 1 つずつです。
で、どちらの民宿も朝晩豪華なご飯付で一泊 7,000 円くらいでした。朝は “わっぱ煮”、夜はいろいろてんこ盛り。
これで一泊たったの 7,000 円 × 三泊。
ちなみに当時、島の東側は電波的に問題なかったのですが、西側は FOMA プラスエリアじゃないと電波を掴めなかったことを覚えています。
当時私はメイン機が「Nexus 4」だったので西側ではほぼ使い物にならず、2 台目の「Xperia acro HD」か何かで通信していた記憶があります。
粟島旅行で運気が上がったかどうかはわかりませんが、最高のリフレッシュというか、大きな刺激になったことは確かです。
粟島、また行きたいな。
独立して思ったこと
そして旅行から帰ってきて、まずはフリーランスとして、そして同年 12 月に個人事業主となり、沖縄にも旅行に行きつつなんやかんやあって、今は沖縄に住んでいます。
脱サラして独立し、そして思ったことは、これまで見えない何かにかなり抑えつけられていたんだなということです。時間なのかお金なのか会社なのか仕事なのか人生なのか、よくはわかりません。
とにかくサラリーマン時代は日々生活するだけでキャパがいっぱいでしたし、このままずっとアパレル業界にいるのか、それとも別の業界に行くのかなど、見ない将来に対する不安がかなりありました。
当時は独立するなんて夢のまた夢だったし、独立したところで自分に何ができるのか、何が残るのかがわからなかったですし。
でも思い切って独立してみたらまず時間的な余裕ができて、それと同時にいろんなことを考えられるようになっていきました。今はこれを頑張ろうとか、次は何しようとか。
もちろん不安もありましたけど、でも独立してから意外とネットショップの運営だけで食べて行けたし、時間ができてそこに注力できるようになったことでこれまでにない最高利益も上げることができました。
一時的にですけど、最初の 3 ヵ月くらいはいろいろな奇跡も重なって月の利益は 50 ~ 100 万くらいになっていたと思います。これが長続きするわけではないと思って次の行動にも移っていましたしね。
ただこれはあくまでも私の場合です。誰もが独立すれば余裕ができるわけではないですし、会社に属している方が余裕を持って生きていける人もいます。
私は社会不適合者だと自覚しているので、結果的に会社から離れて独立したら、不安がありつつも余計なストレスがなくなっただけの話。逆に言えば会社に属して生きていけない人種です。
そもそもサラリーマン時代は生きるための副業でネットショップをしていたので、独立して新たに何かをやったというよりは、更にネットショップに注力しただけです。
“0(ゼロ)” からの再出発というわけではなかったし、当時副業でやっていたことをそのまま本業にできたのは私の特権と言えるでしょうね。脱サラして “0” から何かをやるとなっていたら、何も生み出せずにそのまま横浜辺りで再就職していたと思います。
あの時の余裕を思い出して
今はまた、独立してから最大の人生のターニングポイントを迎えています。まだそれなりに時間的な猶予はあるものの、ゆっくりはしていられません。
ただ今回このコラム記事を書いて、そして読み返してみて、独立したての気持ち的に余裕があったときのことを思い出しました。
気持ち的に余裕がないと、上手くいくもんも上手くいかないですからね。焦らず、だからといって怠けず、日々できることを精一杯やるだけです。
今私にやれることはブログを書き続けること。